真実は、体験の先にある
- 美羽~miu~

- 6月25日
- 読了時間: 3分
たくさん、沢山伝えたいことが山ほどあって、、、下書きだけでも100以上あるのですが・・
中々思うように進まないのも意味があるのかしら😌
スピリチュアル界隈でよく耳にする言葉に
「波動を上げましょう。」
「もっと手放しましょう。」
「もっと霊性を高めましょう。」
そんな言葉を聞くたびに
私の中には、小さな違和感が残ります
もちろん
波動も
霊性も
目には見えない世界も
私は否定しているわけではありません
私自身も
天界やカルマ
アカシックレコードなど
目には見えない世界についてお話しすることがあります
けれど
一つだけ大切にしていることがあります
それは
「私はこういう見方をしています。」
ということ
そして
「本当かどうかは、あなた自身の体験を通して確かめてください。」
ということです
誰かの体験は
その人にとっての真実です。
私の体験も
私にとっての真実です。
でも
あなたには
あなたにしか出会えない真実があるのかもしれません。
だから私は
「波動を上げれば再会できます。」
「こうすれば幸せになれます。」
そんなふうに言い切ることには
少し慎重でありたいと思っています。
その答えを信じた瞬間
私たちは
自分で感じることよりも
答えを探すことを優先してしまうことがあるから
「もっと波動を。」
「もっと手放しを。」
「もっと霊性を。」
その「もっと」の奥には
ときどき
「今の私はまだ足りない。」
そんな前提が
確実に見え隠れしています…
本当は
会いたい。
寂しい。
悲しい。
苦しい。
その気持ちを感じることから始まる体験もあるはずなのに
いつの間にか
感情よりも先に
答えを探し始めてしまうのです
私は
「概念ではなく体験」
ということを
何度も伝えてきました
概念は
世界を理解する入り口になります
けれど
頭で理解することと
体験することは
雲泥の差があるのも事実です
昔のことわざでは
百聞は一見に如かず
体験は、理解を遥かに超える。
例えば
100冊の本を読む。
よりも
1回、本気で愛した経験。
100人から
「あなたは大丈夫。」
と言われる。
よりも
一度、自分で
「あ、大丈夫だった。」
と体験する。
百聞は一体験に如かず
その一度の体験が
何百もの言葉を超えていくことがあります
なぜなら
誰かの答えは
道しるべになることはあっても
自身の人生のハンドルを握るのは
いつだって
アナタ自身だからです
答えは最初から用意されているものではなく
その人が歩いた体験によって生まれていくもの
例えば
Aさんは
「波動が整ってから再会した。」
かもしれない
Bさんは
「自分の本音を認めたら再会した。」
かもしれない
Cさんは
「結局、再会しなかった。でも人生は幸せになった。」
かもしれない
どれも、その人の真実です
そのため
「波動を上げれば再会する。」
と一概に決めてしまうことに、わたしは違和感があるのです
だから
誰かの答えをそのまま自分の人生へ当てはめることはできないのです
真実は、一人ひとり、異なるものだから…
あなたが
あなた自身の体験を通して
あなた自身の真実に出会うこと。
それを
何よりも大切にしています
あなたが信じているその答えは誰の体験から生まれたものでしょう。
そして、あなた自身は どんな真実に出会ってきましたか。




