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ウェディングブーケ

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人格は体験者 魂は観察者




いつもながら…

前回の記事からずいぶん時間が空いてしまいました

この間にもたくさんの気づきがありました

そして、ふと感じたことのシェアを… 昨日、ただ、ただぼんやりと空を見上げて


雲が流れていくのを眺めながら、なんとも言えない心の静かさを感じて。

その時ふと思ったの



人生を生きている自分とは別に、ずっと見守っている自分がいるんだよねぇ…、と。


私たちは普段、目の前で起きる出来事を体験している。


嬉しいことがあれば喜び

悲しいことがあれば泣き

腹が立つことがあれば怒る

それは ヒトである限り とても自然なこと



人格は目の前の出来事に反応する

魂は、その奥で何が起きているのかを静かに見ている


だから言葉として表現するなら

人格は、あらゆる出来事の体験者

魂はデータ収集する観察者

という言葉がしっくりする

特に私は、人間を、自分も含め深く、深く、観察・研究してるらしい(笑)


人格は歓び、怒り、哀しみ、愉しむ…

魂は学び、見守り、成長を見届ける


例えば、泣いている自分がいるのに、

どこか冷静な自分もいる。


怒っているのに、

「私は何に反応しているのだろう」

と、どこかで俯瞰する自分もいる。



そんな経験はない?


感情を感じている自分と

その感情を見つめている自分。


実はその両方が存在している。

だから感情があることと、俯瞰していることは矛盾ではなく

どちらも自分



ただ、一つ感じていることは…最近のスピリチュアルな世界では

「これは学びだから」

「魂の成長だから」

という言葉をよく耳にする。


もちろん、それは一つの捉え方。

正解でも不正解でもない

ただの概念に過ぎない




でも私は時々、その言葉によって人格の感情が置き去りになってしまうことがあるようにも感じてしまう…


悲しい。

悔しい。

寂しい。

腹が立つ。


本当はそこにある感情を感じる前に

「これは学びだから」

と頭で納得しようとしてしまう。


けれど、感情を飛び越えることが成長なのかしら?


では、なぜ 感情 をもって生まれてきたのかしら?


悲しみがなくなるわけではなく

怒りが消えるわけでもなく

感情を感じることは弱さではないから


むしろ、その感情を体験しながら、その奥にあるものを見つめていく。


結果、ではなく、魂はその過程そのものが大切なのではないかしら…?



特に、これまで感情を感じないように生きてきた人ほど。


感情を感じることを、自分に許してもいいのかもしれない。



悲しみを感じてもいい。

怒りを感じてもいい。

寂しさを感じてもいい。


感じないようにすることが成長なのではなく、

感じることを自分に許していくことも、歩みの一つ


体験するために生まれた自分。

その体験を見守る自分。


どちらかだけではなく、その両方がいてこそ人生は豊かになる。



人生とは

統合された世界の中で

分離しているように見える世界で

初めから統合していたことを思い出していくゲーム


感情

思考

記憶

価値観

恐れ

願い

エゴ

これら全部含まれる人格か

それとも魂か…ではなく


人格も

魂も

そのどちらも自分


魂だけになったら

歓びも悲しみも、愉しみも怒りも、体験できないから


人格だけになったら

出来事に飲み込まれてしまうから


だからこそ

体験することも

見守ることも

どちらも大切



愛も

癒しも

手放しも

統合も


いくら概念を理解しようとしても


わたし達は

『体験』からでしか

得ることのできないものがある。。。


だから

出逢ったの





空(くう)であり

無であり

すべて。 肯定も否定も

愛も悲愛も

光も闇も

分離も統合も そこから生まれ

そこへ還る


愛が肯定しているのではなく

愛が受け容れているのでもなく


肯定も否定も

受容も拒絶も


すべては後から生まれたもの


その前には


空がある。

無がある。


そして


すべてがある。



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天と地とわたし達生きとし生けるものが

共に豊かに栄えゆく​此ノ花の光在る地上の楽園

©️ 2022   宙のひかり

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