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ウェディングブーケ

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すべてはシナリオ⑦

9月8日
読了時間: 3分

更新日:9月11日




すべての領域を見ている【本当のわたし】が

最後にはホログラムの外側にいるのでしょうか…



でも

そもそも【本当のわたし】とは何を指しているの?


魂なのか

ハイアーセルフなのか

真我なのか

それとも

根源と呼ばれるものなのか…


わたしの中では

【ハイアーセルフ】と【宇宙根源】は同じものではありません


ハイアーセルフはわたしに何かを【伝えてくる】存在


そこにはまだ

伝えるものと受け取るものという二元性が生まれています


でも、わたしにとって【根源】は

何かを伝えてくる存在ではないのです


ハイアーセルフも

魂も

わたしも

この世界も


【すべて根源の中に在る】からです


では

その根源が【本当のわたし】なのかしら?


わたし自身はもともと、

最後には究極の「わたし」がいる、という感覚よりも

【そもそも「わたし」なんてない】

というそんな感覚を持っています



少し前に、とても不思議な体験をしました


そのとき…

目に映し出されたこの世界を作り上げている

あらゆる小さな小さな粒子が

さらさらと

まるで砂の城が崩れていくように

ひとつひとつ消えていきました…


その感覚は

これまで何度も体験してきた【ワンネス】とは

まったく性質の異なるものでした


わたしにとってワンネスとは

【総てとの一体感】

世界は在る総ても在る

ただその境界がなくなり

わたしが溶けすべてが溶け

そこに在る意識は【愛のみ】です


でも

あのときは違いました


総てとの境界がなくなったのではなく


【世界そのものが消えていった】


そして世界が消れたあとに

それを見ている「わたし」としての意識が残っていたわけでもありませんでした


世界を体験しているわたしもいない

それを見ているわたしもいない

すべてを俯瞰している【本当のわたし】さえそこには存在していませんでした



これまでわたしはあの体験を

【無】

という言葉で表してきました


でもここでいう「無」は

思考が消えて頭の中がスンと静かになるような

いわゆる「無になる」という感覚とはまったく違います


何も考えていない「わたし」がいたのではない

静寂の中にいる「わたし」がいたのでもない

そもそも

【わたしがいる】

という前提そのものがなかったのです



そして今改めてあの体験を思い返すと

「わたしがいなかった」

という表現さえ少し違うような氣がしています


わたしと世界

見るものと見られるもの

内側と外側

在ることと無いこと

そうやって二つに分ける境目そのものがなかった


だから本当は

【無】

という「何もなかった」言葉さえ正確ではなく


【何ひとつ分かれていなかった】



今のわたしには

その言葉がいちばん近いように感じています



そこには

恐れも

歓びも

ワンネスで感じる【愛】さえも

ありませんでした


けれど不思議なことに

恐ろしいわけでもなかった


言葉にするなら


【非・恐怖の安堵感】


でも

それを良しとして安心している「わたし」がいたわけでもありません



だから

「無を体験した」

というのも少し違うのです


「無」を体験した、と言えば

そこには無を体験している「わたし」が存在していたことになるから…



そして

【無こそが本当のわたしだった】ともわたしには言えません


あの体験が

真我なのか

無我なのか

根源なのか

わかりません


それらはすべて

今ここにいるわたしが

あの体験を理解するために

あとからつけた言葉です


あのときには

あの体験を名づける「わたし」さえいなかった


だから今でも思うのです


【あのときわたしは…どこにいたんだろう(笑)】


もしかすると

「本当のわたし」というものさえ

今この世界の中からつけている

『概念』なのかもしれません


そして

あの体験に今のわたしが何かひとつ言葉を置くとしたら


【何ひとつ分かれていなかった】


それだけなのです









天と地とわたし達生きとし生けるものが

共に豊かに栄えゆく​此ノ花の光在る地上の楽園

©️ 2022   宙のひかり

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