すべてはシナリオ④ ―クンダリーニ覚醒―
- 美羽~miu~

- 23 時間前
- 読了時間: 5分
クンダリーニも「シナリオ通り」
わたしは後に
あの身体で起きた体験を
「クンダリーニ覚醒」
と捉えるようになりました
そして
自身のハイアーセルフに聞いたことがあります
すると
返ってきたのは
「クンダリーニもシナリオ通り」
「魂が融合するような体験」も
「シナリオ通り」
という言葉でした
彼との出逢いも
シナリオ。
クンダリーニも
シナリオ。
魂の融合のような体験も
シナリオ。
そして
ずっと前から言われていた
「すべてはシナリオ」
……じゃあ?
シナリオ通りって
どこまで?
今なら思います
≪どこまで?≫
じゃない
≪すべて≫
だったんじゃん(笑)
でも
当時のわたしは
そんなことわかっていませんでした
彼と出逢いも
クンダリーニも
融合も
ツインレイのプロセスのひとつとしてのシナリオ
そんなふうに捉えていたのです
まさか
願うことも
選ぶことも
現実を変えようとすることさえも
さらに
「これは自分で選んだ」と思っているわたしまで
その ≪すべて≫ に含まれているなんて
当時のわたしは思ってもいませんでした
シナリオがある
そう思いながらも
その中で何を選びどう動くのかは
自由意思のある地球で生きている、わたし自身の意志だと思っていたのです
そして
当時のわたしが望んでいたことはとてもシンプルでした
彼と一緒になりたい
どうしたら彼と一緒になれるのか
どうしたらこの現実を変えられるのか
それしかありませんでした
引き寄せを学び
潜在意識を学び
自分の内側にあるものととことん向き合い
傷ついた記憶に触れ
インナーチャイルドを癒し
潜在意識を書き換え
ブロックを解放し
怖れながらも
そのとき自分にできることを
ひとつずつやってきました
そして
実際に
「これは引き寄せた」と思うようなことも
「現実が変わった」と感じるようなことも
たくさん体験してきました
だから
それらを今になって「違っていた」とは思いません
あのときのわたしは
本当に願い
本当に傷つき
本当に癒し
本当に選び
本当に行動していました
そのすべてが
わたしにとっては紛れもない体験として残っています
ただ
今になって
少し違って見えることがあります
以前のわたしは
自分の内側が変わったから
現実が変わった
潜在意識を書き換えたから
体験する世界が変わった
そんなふうに捉えていました
それも
ひとりの人間としてこの世界を生きるわたしから見れば
とても自然なことです
でも
もし
「変えようとしているわたし」まで
すでにシナリオの中にいたとしたら……
傷に氣づいたわたしも
癒したわたしも
潜在意識を書き換えたわたしも
怖れながら一歩を踏み出したわたしも
その結果
「現実が変わった」
と感じたわたしも
全部
ひとつのシナリオの中にいたことになります
そう考えたとき
ふと
彼と初めて出逢った日のことを思い出しました
彼と目が合った瞬間
なぜか
視線を外すことができなかった
それなのに途中からわたしは
「先に逸らした方が負け!」
「逸らしてなるものか!!」
と
自分の意志で
視線を逸らさないことを選んでいるつもりでした(笑)
でも、よく考えてみれば
わたしが「逸らさない」と決めるより先に
視線はすでにロックされていた
だったら
「逸らさない」と決めたわたしの意志は
いったいどこから始まったのでしょう
わたしは
自分で選んでいる
だから
自由意志があるように ≪感じる≫
でも
その「選んでいるわたし」まで
すでにひとつのシナリオの中にいたとしたら……
そして
これは、彼とのことだけではありません
これまでの人生の中で
「パラレルシフトした」としか思えないような体験を何度かしたこともあります
そのときのわたしは
確かに「世界が変わった」と感じました
だから
パラレルという考え方を
体験もせずに否定しているわけではありません
過去にもパラレルシフトの記事を書いた記憶はあります
ただ
今のわたしには
それもまた
少し違って見えています
ある世界を体験していたわたし→わたしA
「世界が変わった」と感じたわたし→わたしB
そして
変わったと感じる世界を体験しているわたし→わたしC
そのすべてが
最初から
ひとつのシナリオとして在ったのだとしたら…
変わったのは
体験ではなく
【その体験をどう捉えるか】
という意識の領域なのかもしれません
引き寄せを信じていたわたしも
潜在意識を書き換えていたわたしも
パラレルシフトしたと感じていたわたしも
そして今
「それさえもシナリオだったのでは?」
と考えているわたしも
全部
同じひとつのシナリオの中にある
だから
これまでのわたしを否定する必要もなく
どのわたしも
そのとき
そのとき
本当にその世界を生きているのです
そして今その全部を振り返ったとき
ようやくひとつのものとして見えてきた
≪すべてがひとつのシナリオで一本の映画だったのか≫
願ったことも
傷ついたことも
癒したことも
選んだことも
「現実が変わった」と感じたことさえ
どれかひとつが次を生み出しているのではなく
そのすべてがすでに在るひとつのものとして
いまここにホログラムとして表れている
わたしたちはその中を生きながら
ひとつずつ体験しているように感じている
今はそんなふうに見えるようになった
ただそれだけなのです

