第4章 ツインレイとは“誰かを得る物語”ではないⅣ
- 美羽~miu~

- 14 時間前
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第3話では関係のなかで生きる愛について綴ったけれど、実はその先に立ってみるとひとつの静かな問いが浮かんでくるの
わたしたちは誰かを求めているのか
それとも自分に還ろうとしているのか
ツインレイという言葉は、いつの間にか 「運命の相手を手に入れる物語」 のように語られがちだけれど…
愛に向かって進んでいるつもりで…実は自分の中心へと戻っていた道
誰かを得るためではなく、自分を思い出すための旅
ツインレイという概念を通して、統合とは何かをわたしの体感から綴っていきます
それは、正解を探すためではなく、あなた自身の胸の感覚に耳を澄ませながら…ゆっくりと読み進めてほしいなと思います
第4話
ツインレイは“誰かを得る物語”ではない~ 自分へ還る旅~
ツインレイとは「誰かを得る物語」とは異なります
ツインレイとは
愛でも幻想でもなく
自分に還ること
真の在り方を思い出していくプロセス
けれどこの本質を、いま語られている、再会・統合・覚醒といった型どおりのツインレイプロセスに当てはめようとすると、いつのまにか道が少しずつ反れていく
本来は内側へ還る旅なのに、外側の物語を追う道になってしまうから
愛する「お相手」へ向かう旅ではなく
愛する自分自身へ還っていく旅でもある
ロマンスとして語られがちな「彼は私、私は彼」という関係性ではなく
彼の魂は、わたしの魂
わたしの魂は、彼の魂
この感覚が頭で理解できた時点ではなく、体感として腑に落ちたとき
ツインレイという概念は少しずつその役目を終え始める。。。
ですが、腑に落ちる段階は、かなり統合が進んだ先…
この「腑に落ちる段階」はかなり統合が進んでいないと正直、辿り着くのは難しい
なぜなら、それは理屈を理解した先にあるのではなく、理屈を通り越した氣づきのため
「そうだったんだ」という納得ですらなく
「ああ、もともとそうだった」
「ああ、最初から知っていた」
「ああ、ずっとそこに在った」
「ああ、身体が覚えていた」
という氣づきそのもの
新しく何かを得た感覚ではなく、ずっと在ったものを思い出しただけのような感覚
この感覚は、言葉で説明しようとすると薄れてしまい、異なる意味を生んでしまうけれど
一度、身体ごと腑に落ちると、もう元の視点には戻れない
それが 悟り の段階かもしれない
正直、彼を追い求めている段階は「統合」ではない
では彼を強く想い、追い求めている段階は何なのか
それは統合ではなく 癒しの段階
これは遅れているわけでも間違っているわけでもない
ただ順序が違うだけ
この段階では「彼を想う氣持ち」は愛に見えながら
実は自分自身の傷に触れているの
寂しさ・不安・見捨てられた記憶・愛されなかった感覚…
それらが『愛する彼』という存在を通して浮かび上がっているだけ
統合は、追いかけることでは起きない
統合とは、相手を強く求めることでも、相手に選ばれることでもなく
相手を通して自分の傷に触れ、抱き直していくこと
だから
彼を追いかけている間は、無理に統合しようとしなくていいし
手放そうとしなくていいし、悟ろうとしなくていい
まず必要なのは 癒し
その癒しが十分に行き渡ったとき、追いかける衝動は自然と静まっていくもの
そしてその中で統合は「起こそうとするもの」ではなく
すでに起きていたことに氣づくものへと変わる
魂の視点に戻ったとき、世界は変わる
彼の魂は「外側の容れ物」ではなく ワタシ自身
別の容れ物(Body)を通して、自身とは異なる体験をしているだけ
だから、彼の人生を縛る必要も、留める必要も、追い続ける必要もない
自分なら、自分の中に在って当たり前
自由に羽ばたいていいし、どんな人生を生きてもいい
だからこそ、彼の容れ物を通してどんどん輝いてほしいと心から願える在り方へシフトしていく
【補足】
ただ、ここで添えておきたいこと
この視点は、痛みを避けてきた先に自然に訪れるものではなく、内なる恐れや違和感、苦しさとともに何度も自分と向き合ってきた先に立ち上がる景色だということ
「そうなんだ」と理解し、彼から意識を外し、手放そうとすることはできても
心や身体に残った未昇華の痛み・感情はそのままでは決して消えることはない
傷は、理屈で越えられるものではなく、痛みを感じ切り、抱きしめ直し、絡まった記憶をほどいていくもの
だからもし、いま苦しくて、まだ追いかけてしまう自分がいるなら
それは遅れているのでも間違っているのでもない
ただ癒しの途中にいるだけ
無理に悟らなくていいし
無理に手放さなくていい
痛みを飛ばさずに通るからこそ、いつか 「ああ、もともとそうだった」と腑に落ちる地点へ自然と辿り着いていくの
あと、もうひとつだけ。
ツインレイが「自分へ還る旅」だと伝えると
ときどき「彼を得られないなら諦めるしかないのだ」と結論づけてしまう案外多く人がいるのね
けれどそれは本質とはまったく異なるの
諦めるために気づくのではなく、愛を奪おうとする自身のエゴから降りるために気づく
手に入らないから引くのではなく、相手を “所有の対象” として見る欲の視点から降りるだけ
彼を遠ざけるためでも、自分の心を閉じるためでもない
むしろハートを開いたまま、自分の中心に立ち続ける
そのとき「彼をどうするか」「彼とどうなりたいか」という問いは自然となくなり
代わりに「わたしはどう生きたいか」「わたしはどう在りたいか」が前に立つ
だからこれは、諦めの道ではなく、より深い愛へ還る道なのだということ
そして最後に。
ここが一番知りたいかな。。
ツインレイはどちらか一方だけが降りてもプロセスは終わらない
お互いが 降りたときにだけ……役目を終えていく
だからこそ「彼が変われば終わる」でもなく「自分だけが悟れば終わる」でもない
それぞれが自分へ還る道を歩き切った先で、やり切ったと感じたとき
世界は静かに反転するもの……
光の言霊
もう探さなくていい
あなたが辿ってきた道は
正しさを証明するためでも
誰かに選ばれるためでもなかった
ただ自分へ還るための回り道
怖れも執着も願いも…
すべてを抱えたまま
歩いたからこそ
いまここに立っている
彼の魂もあなたの魂も
外側に在るものではなく
内側でひとつに響いている
だからもう必死に握りしめなくていい
あなたが あなたとして
ただ在ればいい



