top of page
ウェディングブーケ

Blog

すべてはシナリオ⑪

7 時間前
読了時間: 5分



魂のシナリオ。

そう聞くと私たちは

「私のシナリオは何だろう」

と知りたくなります。


この出来事には

どんな意味があるのだろうか…?


この人と出会った意味は?


私はこれからどうなる?


ツインレイのシナリオは?


どちらを選べば

シナリオ通りなの??



ですが、もし

この宇宙が

最初からひとつしかなく

私も

あなたも

誰かの自我も

そこで起きる出来事も

すべてが


ひとつの全体の動きなのだとしたら


「私のシナリオ」だけを

切り取ることなどは不可能なのではないでしょうか


自分自身に起きる、たったひとつの出来事にも

たくさんの人が関わっています。


人には、やはりその人の人生があり

さらにその人と関わる他の誰かがいる


その誰かにも、また他の誰かがいる


ひとつの出来事が起きるために

いったいどれほどのものが動いているのでしょう




―――――――


ほんの少し前…

わたしは、空間を埋め尽くす

【極小の光の粒】を視ました


そこには、無数の光の粒が

まるで歯車のように

それぞれの場所で

それぞれが最善のタイミングで動き

そして

各々が全体の最善で組み合わさっていました


ひとつが動けば

それだけで終わるのではなく

ひとつが、隣接する隣と

そして、その隣接した隣がさらに隣と…

順にすべてと噛み合いながら

ひとつの動きになっている……



もし

魂のシナリオというものが

その全体を含むものなのだとしたら

その中にいるわたしが

全貌を理解しようとすること自体が

とても不可思議なことなのかもしれません。


それはまるで

巨大な機構の中にあるひとつの歯車が

「この機構の設計図を全部見せてください」

と言っているようなもの…


見えているのは

自分のいる場所から見える

ほんの一点にも満たない範囲だけ



けれど私たちは

その小さな視界の中で

「これはこういう意味だ」

「きっとこのために起きた」

「これが私の使命だ」

全体を理解したような気になることがあります


もちろん、その瞬間に

何かを感じ取ることはある。


理由もなく

強く惹かれることもある。


未来の一場面のようなものを

先に感じることもある。


後になって

「あぁ…あれはここに繋がっていたのか」

と分かることもある。


けれど

それは

【シナリオの全貌を知った】

ということとは

まったく別次元なのだと思います



ただ、その瞬間に必要な一片が

全体の中から垣間見えていただけ…




私達は、

誰もがシナリオの全貌を知らないし、知る由もない。


そしてそれは

知ろうとして知れるほど

浅くもない。

ならば

すべてを理解してから

生きることは到底不可能なのです



出来事の意味を見つけなくてもいいし

意味付けしなくていいし


何が正解かと、何が正しい道かと

必死に見つけ出そうとしなくてもいいし


自我には

自我から見える景色から


迷うことも

考えることも

選ぶことも

抵抗することもある。


そして

その自我さえシナリオの外にはいない。


それなのに私たちは

スピリチュアルを学べば学ぶほどに

執着する自分はダメ

抵抗する自分はダメ

手放せない自分はダメ

委ねれない自分はダメ

もっと自分と繋がり

もっと自分に還らなければ

と自我をシナリオから追い出そうとすることがあります


すべてを受け入れるために学んでいたはずなのに

学んだ概念によって今度は

自分自身を排除し始める


そもそも

スピリチュアルで「すべてがひとつ」と言いながら

その自我だけをシナリオの外に置くことはできないのです


分からないと悩んでいる自分も

答えを探している自分も

「もうダメだ」と諦め手を離す自分も


すべてがひとつの動きの中にあるのだから……。





シナリオを理解したから

委ねられるようになるのでもなく

そもそもその全貌を知る由もなく

人の力が及ぶ範囲でもない


ならば【托すほかない】


それが全托なのかもしれません


分からないから托すのではなく

そもそもすべてを把握できるものでも

自らの力ですべてを動かせるものでも

初めからないのです


そして「いつか分かる」ということさえ

【今は理解できないけれどいつか理解できるなら受け入れます】

という

【私が理解できたものなら受け入れます】

の延長線にあるもので


未来のどこかに「答え」を置くことで

分からない未来を分かる未来にしておきたい

【今の不安を鎮めようとしている状態】


それもまた自らの安心を得るために

自我が握ろうとするひとつの動き


そして

そのコントロールさえも全体の外にあるものではありません


握ろうとする自我も

手を離せない自我も

そのままシナリオの中にいる


だからコントロールを手放せた先に全托があるのではなく


【コントロールしている自我さえ含めてすでに托されている】


足掻くのも

答えを探すのも

未来を握るのも

手放せないのも


そして、それらさえ

全体の中では何ひとつ欠けていないのです



魂のシナリオは

頭で解読するためにあるのではなく


【私たち自身がいま、その中を生きている】


その全体像。



何が待っているのかを

知っているからではなく


【知らなくても、すべては動いている】


そのことを

私はもう

視てしまったから…





答えを探すことよりも今ここにいる自分へ

自分自身に還る時間を必要な方へ

天と地とわたし達生きとし生けるものが

共に豊かに栄えゆく​此ノ花の光在る地上の楽園

©️ 2022   宙のひかり

bottom of page