すべてはシナリオ⑫ ―自分に還ることまで、統合の手段にしないこと
ツインレイの世界では
「執着を手放せば再会する」
「自分に還れば相手が動く」
「自分を満たせば再会する」
「統合を手放したとき統合する」
そんな言葉をよく見かけます
でも…疑問が浮かびませんか?
再会した人は全員執着を手放していたのでしょうか?
執着を手放せなかった人は、再会しなかったのでしょうか?
自分に還ったから
相手が動いた
執着を手放したから
再会した
そう言われているけれど
それは本当に、原因と結果なのでしょうか?
仮に
執着がなくなったあとに
再会した人がいたとしても
「起きた事象」としてはそれだけで
執着を手放したことで再会を起こした
とは限りません
少なくとも
わたしが一度離れた彼と再び会うようになった頃
執着がなかったかと言えば、そんなことはありません
がっつりありました😂
むしろ当時のわたしは
今振り返れば上辺だけのスピリチュアルをなぞっていたように思います
それでも
再び会うようになった という事実はあります
だから
【執着を手放すこと=再会するための条件】
とわたしには言い切れないのです
少なくとも私の体験は、その公式どおりではなかった
そして
≪すべてはシナリオ≫ というところから見るなら
【手放していく流れも、再会する/しないという展開も、すでに全体の中に在る】 のです
そのため
執着する自分も
抵抗する自分も
手放せない自分も
未来を握ろうとする自分も
そのすべてが
初めからシナリオの中にいる。
だとしたら
「再会するためには執着を手放しましょう」
「統合を求めることを手放したら統合する」
ということ自体が少し違ってきます
また
【統合するために統合欲を手放そう】
とした瞬間、それはもう
手放しているのではなく
統合欲を手放そうとして、統合欲を手放すことへの執着であり
欲が形を変えて現れているだけ
でも
それも別に悪いことではなくて
再会したいなら、したいでいい
願っていたっていい
統合欲ちゃんもいたっていい
だって
【それも含めての自分なのだから】
執着する自分も
手放せない自分も
再会したい自分も
未来を決めておきたい自分も
そのどれかをいなくならせることが
自分に還ることではなくて
そのすべての自分を否定しない
それが
≪全受容≫ なのだと思います
だから
【執着を手放したら再会できます】
でもない
【再会を諦めましょう】
でもない
【再会しない未来も受け入れられる私になりましょう】
ですらない
それをやり始めたら
結局また
【再会するために自分を整える】
という
≪再会・統合をゴールにした自己統合≫
に戻っていってしまう…
再会したいと願うことと
再会する未来を確定は、「= 」ではなく、「≠」なんですよね
再会するかもしれない
しないかもしれない
そんなこと
現時点の自分には分からない
なのに
「いつか再会する」
と
未来を決めておきたくなる…
だって
その方が安心だから。
今は離れていても
この先には「再会」がある
そう思えれば、今を耐えられる
でもそれって
【未来のどこかに「再会」という答えを置いて、今の不安を鎮めている】
ことに繋がります
分からない未来を
(会えるかどうか分からない未来を)
分かる未来にしておきたい
(ツインレイの再会にしておきたい)
前回書いた、「いつか分かる」と、同じ構造なんですよね
本来は、再会する、と未来を決めておかなくてもいいのですが、
そう書くと
「でも、再会するって決めなきゃ、その未来は来ないんじゃない?」
そう思う方もいるでしょ?
【望む未来は自分が決めるもの】
【現実は自分が創っている】
私もそんなふうに捉えていたことがあります
でも
自我も、その自我がしようとすることも何ひとつシナリオ外に置かない
≪すべてを包容するシナリオ≫ のまで意識領域が拡がったら
ここにもひとつの違和感が生まれます
【そもそも、なぜ「私が未来を創る」が前提なんだろう?】
この話は、また次に書こうと思います…
今は
再会するかどうかは分からない
だから
再会を諦めるのではなく
【再会する未来にしがみつく必要はない】
再会したら
そのとき考えればいい
しなかったら
しなかったときの自分が生きている
【まだ起きてもいない未来までをも必死にしがみつかなくていい】
たとえば。
クラス替えで「絶対Aクラスがいい!」と思っていたとしても
クラス替えの日まで毎日それだけを考えて過ごすわけではないはずです
友達と遊んだり
美味しいものを食べたり
笑って好きなことをしたり
普通に毎日を過ごして
クラス替えの日が来たら
「Aだったー!😍」
かもしれないし
「Bかーーー😱」
かもしれない
その時になったらその時考えればいい
未来を望むことと
その未来にしがみつくこと
は 「=」 ではないし
未来を決め、まだ起きてもいないその未来へ意識を向け続け
必死にしがみつき、そこから離れられなくなる…
それもまた 未来への執着 なのかもしれません
本来、未来のことは
【未来の私に任せとこ】くらいでいいのです
自分に還るのは
再会するためではなく
自分を生きるのは
彼を動かすためでもない
もしかしたら
ツインレイプロセスとして語られてきたものは
因果が逆だったのかもしれません
自分に還ったから再会するのではなく
自分に還っていく流れも
手放していく流れも
再び会う/会わないという展開も
【すべて初めから全体の中に在る】
そこには
自分に還ることが未来を動かすための手段ではないのです
再会するためでも
統合するためでもなく
執着する自分も
抵抗する自分も
手放せない自分も
未来を握ろうとする自分も
そのすべてが
初めからシナリオの中にいる
還る、とは
それらを手放して
どこかへ辿り着くことではなく
ただ
【わたしの生を、わたしとして生きる】だけなのです

【今ここにいる自分に還る時間】
必要な方へ





