すべてはシナリオ⑩-ひとつのなかの分離-
「一人ひとつの宇宙」
という言葉があります
一人ひとりに
それぞれの宇宙がある
同じ出来事を見ていても
それぞれが見ている世界は違う
そして
それぞれに自我があり
それぞれの世界を体験している
でも
そのすべては
大きなひとつの中にある
そんなふうに語られることがあります
言っていることはわかるのです
たぶん
伝えようとしていることもわかる
でも
わたしはずっと
【何かが違う】と感じていました
もちろん
この地球で
「わたし」と「あなた」という
個として生きていれば
分離を体験することはあります
「地球は分離を体験する星」とも言われます
でも
【分離を体験していること】と
【宇宙そのものが一人ひとりに分かれていること】は
同じなのでしょうか
わたしは逆に
「一人ひとつの宇宙」
この言葉を聞くたびに
なぜかまだ
【分離】を感じていたのです
わたしの宇宙
あなたの宇宙
彼の宇宙
それぞれの宇宙があって
でも本当は
繋がっている
わたしが感じていた違和感は
地球で「分離を体験すること」ではなく
「わたし」と「あなた」を
別々の個である分離という「体験」がそのまま
【世界の構造】として
置かれていることだったのかもしれません
宇宙そのものが
「わたしの宇宙」+「あなたの宇宙」
と分かれていること…
それは同じではないのです
わたしがこれまでの体験から感じ取ったものは
それぞれに宇宙があって
それらが繋がっているのではなく
【最初からひとつしかない】
わたしとあなたがいて
その奥ではひとつ、でもない
別々に存在していたものが
ひとつに統合される、でもない
そもそもが。
【分かれていたことなど一度もなかった】なのです
わたしたちは同じひとつのものを
それぞれの地点から体験している
わたしという地点から見える景色と
あなたという地点から見える景色は違う
感じることも違う
考えることも違う
自我もある
だから
「個」は確かに存在しているように感じます
けれど
【観測点が違うことと
宇宙根源そのものと分かれていることは
同じではありません】
そして
もうひとつ
「一人一宇宙」という言葉に
わたしが違和感を感じていた理由があります
もし
一人ひとりに
それぞれ独立した宇宙があり
それぞれが
自分の宇宙を創っているのだとしたら
そこに
他者が登場した瞬間
わたしには
どうしても…整合性が取れなくなるのです
たとえば
わたしの宇宙では
わたしがAという未来を創る
でも
そこに関わる誰かが
その人の宇宙では、Bという未来を創る
その二つが
同時には成立しないものだったとしたら…?
現実はどちらになるのでしょうか
わたしの宇宙では
わたしの望むように相手が動き
相手の宇宙では
相手の望むように
わたしが動くのでしょうか
こういう問いに対して
「自分以外は幻想だから」
という説明を聞くこともあります
確かにわたし自身も
この世界が「幻想」であることを
視た体験があります
だから
この世界が
【幻想であることは否定しません】
でも
わたしが視たのは
【自分以外が幻想】
という世界ではありませんでした
わたしも
あなたも
彼も
目の前に広がる
この世界も
【視える世界すべてが幻想】であり
そこに
一人一宇宙でいわれる、幻想ではない「わたし」だけが残っていたわけではありません
「自分以外は幻想」としたとき
そこには
【自分】と【幻想である世界・他者】
という境界が生まれます
そして
ここまできて
わたしが
「一人一宇宙」という言葉に感じていた違和感と
「自分以外は幻想」という言葉に感じていた違和感には
どこか同じものがあることに氣がつきました
どちらも
【「自分」を起点にして世界を分けている】のです
わたしの宇宙/あなたの宇宙
自分/自分以外
言葉は違っていても
そこにはまだ
「わたし」と「それ以外」という境界が残っています
「すべてはひとつ」と言いながら
その「すべて」の中に
わたしの宇宙
あなたの宇宙
という境界が残っている
それが
わたしには
【ひとつの中に分離を残したまま】
のように感じられたのです
だから
「この世界は幻想」ということと
「自分以外は幻想」ということは
わたしには同じものには観えないのです
わたしは
果ての見えない
深い群青の空間いっぱいに広がる
【極小の光の粒】

を視たことがあります
無数の光の粒が
まるで巨大な歯車の一部のように
それぞれの場所で
最善のタイミングで
カチッ、カチッ、と寸分の狂いなく動いていました
ひとつの粒が
ほかの粒を動かしているのではなく
ひとつの粒が
世界を創っているのでもない
すべての粒を含んだ
【ひとつの動き】がありました
あのとき
わたしが視ていたものを
今のわたしの言葉で表すなら
もしかすると
それぞれが
別々の宇宙を持っているのではなく
【すべてが、ひとつの動きとして在る】
そう考えると
「わたしが現実を創る」という言葉にも
少し違う景色が見えてきます
わたしが
世界の外側にいて
わたしの意識によって
世界を動かしているのではない
「わたしがこう思った」
「わたしがこう感じた」
「わたしがこう選んだ」
その自我の動きさえ
すべて
ひとつしかない全体の中で起きている
わたしが
人生を動かしているのでも
人生に
動かされているのでもない
わたしも
彼も
出会う人も
起きる出来事も
そこで生まれる感情も
抵抗する自我さえも
すべてが
【ひとつの動きの中に在る】
だから
「一人一宇宙」といわれる
誰かの宇宙と
わたしの宇宙の
辻褄を合わせる必要もないのです
別々に存在する宇宙を
あとから
ひとつに合わせているのではない
それぞれが
違う景色を見ていても
感じることが違っていても
意味づけが違っていても
それは
宇宙そのものが
分かれているということではない
同じひとつを
それぞれの地点から体験している
だから
観測点が違うことと
宇宙そのものが分かれていることは
同じではなく
今のわたしには
【分かれていたことなど一度もなかった】
そんなふうに観えているのです





